2011年3月11日

みなさんは何をしていましたか?

あの日ぼくは

「もう会社員は辞めよう」

こう決意し、今に至っております

絶対に忘れない

当時ぼくは会社員

11階建てのオフィスの9階で仕事中でした

この日も朝から猛烈に忙しく

確か昼食も取れていなかったと思います

そして14時46分ごろ

コピーをとりに、デスクから立ちあがろうとした

まさにその瞬間!!

激しい衝撃と共に、大きなコピー機も揺れるほどの振動!!

比較的新しい建物でしたので

免震構造などをしていたか不明ですが

それでも立っていられないほどの揺れで

気分が悪くなってきました

机の下などに隠れることもできず

ただ呆然と時が過ぎるのを待つのが精一杯

だったような記憶があります

長い揺れから数分後、

館内放送がかかり

いったん建物の外へ避難したのですが

数分後にまた大きな余震が!

あわてて屋根の下へ隠れ、難を逃れました

革靴で6時間半

「本日は業務終了、すぐに帰宅するように」とのことで

あわてて地下鉄の駅を目指します

すると、

当然ですが「運休・復旧目処立たず」の看板、、、

しかたなく、同じ方向に帰るTさんと一緒に

会社のある港区六本木から千葉県方面へと向かうことにしました

30分ほど歩いた頃でしょうか

途中、東京駅あたりで

以前お世話になった店長のいる居酒屋を尋ねると

電気は来るが、ガスが止まって営業ができない

とのこと。

当然です、あれほどの強い揺れならガスは危険ですね、、、

Tさんとは東京駅で別れ、

スーツに革靴のぼくは千葉方面を目指します

歩道には会社を出たばかりであろう

会社員やOLさんが大行列を作っています

そして、

車道にはまったく動かない車の大行列、、、

ここから忍耐の6時間半が始まったのです

空っぽのコンビニと、、、

2時間ほど歩いたでしょうか

途中にあるコンビニは、棚がすべて空っぽになっています

いままで見たことのないその景色

食べ物がとにかく空っぽ

飲み物もほとんどありません

店員さんが行列を対応しきれずに

すっかり混乱していたのが忘れられません、、、

そこからさらに1時間

今度は自転車屋さんがありましたが

なんとその自転車ももぬけの殻、、、

みんな自転車で家路に急いだのですね

空っぽのコンビニと

空っぽの自転車やさん

ふだん商品で溢れかえっている印象のこの店が

空っぽになっているのを見たのは

この時が最初で最後でした、、、

ようやく到着

途中、公民館などでトイレ休憩をしながら

フラフラで自宅へ到着

時刻は深夜0時過ぎ

16時過ぎに会社を出て

途中寄り道をしたので

ざっと6時間半

足の裏は水ぶくれが破裂

途中で水をかぶったりしたので

スーツもボロボロ、、、

でも、

自宅があることのありがたさと

外出先で地震に遭遇した妻が

なんとか無事で帰宅していたこと

当たり前なんてものは

本当にこの世にないと思いました

この感覚は絶対に忘れません

このとき決めたふたつ

・スーツと革靴は今後身につけない

・会社員はもう辞める

すんなりとこれが頭に思い浮かびました

>スーツと革靴

これは、自分のためにならないので、

こういう服装をする仕事はもうしない!と決心したのです

>会社員は辞めよう

私服で仕事をしよう!

自宅で仕事をしよう!

スーツも着なくて良いし、革靴も履かずに済む

震災がなければ、あの足の痛みがなければ

そしてあの時に決意していなければ

いまのぼくがありません

忘れない

「スーツを着ないで仕事をするなんて無理だ」

「私服で仕事ができると思っているのか」

当時の同僚は鼻で笑いながら

退職するぼくをそう見送ってくれました

決意したジャンボ

いつか見てろよ!

あの時のあの気持ち

そして

後から聞きましたが

福島で被災した友人

ぼくのあのときの足の痛み

これを決して忘れないから

いまのぼくがある

2011年3月11日

あの日を決して忘れない

そして

あの日決意したこともぜったいに忘れない

みなさんはあの日、どんなことを決意しましたか?