置かれた場所で咲かなくて良い!?
2012年に発売された
置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子著/幻冬舎)
読みましたか?
タイトルがとても有名になったので
中身を読んでいなくても、
なんとなく聞いたことはある!という方も多いのでは?
原文は、アメリカの神学者
ラインホルド・ニーバー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC#%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A(Serenity_Prayer)
の詩の一節とされています
どんな環境に置かれても、今できることを精一杯やりなさい
という解釈をぼくはしていますが、みなさんはいかがでしょうか
誤解してませんか?
誤解されがちだと思いますが
置かれた環境から動かずにじっと耐えること
のように捉えられていることが多いように思えます
先ほどのとおり
・いまそいでできることを精一杯やる
という意味合いだと思っているのですが
その環境から動かずに我慢しなさい
と解釈してしまうと、とたんに息苦しくなりますね
そうではなく
場所も変わって良いし
我慢もする必要はないと思います
石の上にも●年
は、昭和のことわざですので
この令和の時代に
何年も同じところで我慢する必要なんて
不要ですよね
さあ!動こう!!
最近では、半年経つと
スマホは新機種になり
アプリも新しいものが出てきますね
それくらいのスピードで世の中が進んでいます
置かれた場所で咲くことも大切ですが
動いて動いて
いろんな人から刺激を受けて
前に進んでいきましょうー^ ^
(自分に言ってます♪)
それではまた!